イタリア映画祭1

イタリア映画祭、東京ではもう終わってしまいましたね。

今年は座談会にも行けず、例年よりも行ける日が限られていたので、満足できずに終わってしまうかしら・・・と思っていたのですが、まったくの杞憂でした。

なんとか時間を工面し、結果10本観ることもでき、そしてそのどれもが、観てよかったと思える作品であったというのが、本当に嬉しかったです。個人的には今までで一番満足のいく映画祭でした。
ラインナップもバラエティに富み、重いのあり軽いのあり、ハートフルなものありサスペンスありと、一日3本観ても、いつも新鮮な気持ちで次の映画に臨めたというのは、とてもよかったです。そのお蔭で私には珍しくうたたねすることもなかったし・・^^v

加えて嬉しかったことは、今回ほんとうにたくさんの人と会えたこと。新しい方との出会いもありました。イタリアでは何人もの友達が誘いあって映画に行き、観賞後はああでもないこうでもないと感想を述べ合うことが多いのですが、その習慣を思い出しました。

さて、当初は映画祭の記事を書くつもりはなかったのですが、あまりにもみんなよい作品ばかりだったので、備忘録にちょっとした感想を書きとめておくことにしました。
(ネタバレあり。粗筋未記入のため観賞した人以外にはわけがわからないかも^^;)

「ただ、ひとりの父親」
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知り合いのイタリア人が面白かったよと言ってたのですが、実は主役にもテーマにもそれほどの興味もなく、あまり期待していませんでした。でも、とってもハートフルで後味の良いでした。主役も写真で見るより動いた方が魅力的。又相手役のディアーヌ・フレーニは、数年前に東京国際映画祭で上映した「マイ・ブラザー」にも出ていた女優さんなのですけど、彼女の笑顔が魅力的でした。

「ジュリアは夕べに出かけない」
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観終えた後も暫くの間、グイドやジュリアを思っては、余韻にひたっていました。果たしてグイドはどうするべきだったのか、ジュリアが救われる道はなかったのかを考え続けずにはいられなかったのです。

グイドは優しい男性なのだと思いました。それほど美男でも魅力的でもないけれど、人をけっして拒絶しない優しさがある、だからこそあのような状況にあるジュリアも惹かれていってしまう。
孤独で精神的にも追い詰められた状態にある時、人は、自分を受け入れてくれる人に寄りかかりたいもの。それがグイドだったのかなと。

グイドがずるい男には私は思えませんでした。優しいけれど優柔不断な弱い男なのだと思いました。ジュリアを受け入れたことも、ジュリアに娘と再会させてあげたことも、彼の最大限の優しさであり良心だったのだと思います。でも、それは結果的にとても中途半端で無責任なものとなってしまい、それによってジュリアの絶望は決定的なものとなってしまうのです。ジュリアはグイドに出会わなければ、出所を迎える日まで水泳のインストラクターをし、それなりの人生を送れたのかもしれない。

でもたとえその後に絶望が待っていようとも、人を好きになり、そして娘に再会できる希望を抱けたことの方がよかったのか。これは答えのでない問いなのかも。

そういえば、終盤ジュリアが嫉妬をむき出しにするシーンがあり、一瞬「危険な情事」を思い出しました。そのまま2人共々破たんに向かうのかと思ったのですが、ジュリアは身を引くのですよね。嫉妬を表現したことで、その後の彼女の選択がより重いものに感じました。

ただ、グイドは元のさやに収まってズルイという見方をする人もいたので、それもなるほどと思いました。私自身、再度観た時にまた印象が変わるのかもしれません。


コズモナウタ-宇宙飛行士
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監督は女性の方なのですが、インタビューで「本物の思春期を描きたかった」と述べているように、女の子が少しずつ大人になっていく過程が丁寧に書かれていて面白かったです。ふふっと笑わせてくれる場面もあり、また自分の思い通りにならないがゆえに意地悪になってしまうシーンにちょっと苛立ったり、その一方で、こういうことって私にもあったなあと思い出させてくれたり。
あと音楽もとってもよかったです。cuore mattoは、アルモドバルの「バッド・エデュケーション」でも印象的なシーンで流れていましたが、60年代を代表する曲なのですね。

・・・続く・・・
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by puntarellina | 2010-05-05 23:08 | イタリアあれこれ